『虫の歌合』が、「玉虫草子」のパロディであることは言えると思います。
今回こちらで問題にするのは、『虫の歌合』が元になった場合です。
『虫の歌合』は版本、写本多様化していて、成立年、作者を絞り込むのに照会されました。
その中の作者を限定するにあたって有力なものが、寛永拾九壬午三月廿八日」書写の「虫の哥合」、寛永中刊整版大本「虫の歌合」風月宗智板、寛永中刊古活字版丹緑本でした。照らし合わせた結果、作者を長嘯子と言われています。
しかし、寛永中刊に版行された本、古活字版丹緑本(無彩本もあるが)は、『四生の歌合(
ししょうのうたあわせ)』(4冊)として版刊行されていました。
この『四生の歌合』全てを長嘯子作ととるか否かについては、未だに決定打は出ていません。(修士段階で個人の結論は、『虫の歌合』のみ長嘯子としています。だってあまりにも文章が違う!こだわり方が違う!けどもこれらの違いは論証…じゃない!)
誰の作であるかは置いておいて、『四生の歌合』を見ていきます。
『四生の歌合』は、『虫の歌合』、『鳥の歌合』、『魚の歌合』、『獣の歌合』四つの歌合わせからなります。
『長嘯子全集』一巻翻刻によると、四つの歌合わせを『四生の歌合』として納められてはいますが、一つのまとまりをもった大きな作品であるとまでは思えませんでした。
わかりやすい大きな違いは構成です。
『四生の歌合』の最初であるとされる『虫の歌合』は、それだけで独立した一つの物語構成を持っていて、完結しています。(構成とパロディについては1で述べたから省略)
『鳥の歌合』から詳細を見ていきます。
『鳥の歌合』の構成は、「序文」、「たいぐみ」、「歌合」に分かれています。
最初の「序文」には、『虫の歌合』の最初に出てくるような、人は出てきません。
最初から、鳥たちの視点で物語が始まります。
本文を引用したいのですが、訳文の方がいいかな。
ざっくり訳でいきます。
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(略)みそさざいと申す小鳥、(中略)鴬のちくりんほうに近づいて、小耳に挟んだことを唄います。
もろもろの虫たちが集まり、歌合わせがあったようです。玉虫を恋の相手になぞらえて、あらゆる言葉を尽くして歌を競いあい、判者は蟇蛙が致したようです。
どうしてどうして、虫の家に(鳥の家が)劣ることがありましょうか。既に、源氏は鳥の家、平氏は虫の家、藤原は獣、橘は魚の家というではありませんか。
などと伝えます。
これら四家の流れ(歌は流派、口伝、伝承を汲むものである)の中でも、源氏などといわれている鳥の家に、歌合わせのないことは、甲斐無いことです。(下略)
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虫の家に歌合があったという噂をきいたみそさざいが、鳥の家に歌合がないのはおかしいといって、鳥たちに声をかけます。
この序文にある詞を元にして、『四生の歌合』を『四姓の歌合』とも取られてきました。
「鳥・虫・獣・魚」を「源平藤橘の四姓」に擬えていることによって、「四姓うた合」の意図の下に詠作された作者一人による四部作とされていました。
しかし、序文の詞は、『虫の歌合』を虫が歌合をしたという事を受けて、新たに世界観をたてたものとも思えます。(ごにょっと『虫の歌合』のような、作者に稚戯と余裕が見えない…気もします)
また、『鳥の歌合』の歌合には判詞はあるものの最後歌合の判詞には物語をしめくくる形の詞はありません。「(略)かたく以て、ちたるへしと申侍らんか」で終わっています。
特徴としては、『虫の歌合』では、虫たちの名は、そのものでした(例外は判者のみ、「やぶのもとのひきがいる」)が、『鳥の歌合』では、凝っています。例にあげると、以下のとおり。
一番 はしぶとにくどくこひ
左 とびのきんすけ 右 からす田のくろ助
という感じです。
『鳥の歌合』は、鳥たちの名と構成は、形としてはっきりしていますが、物語として完成しているとは思えませんでした。あくまで物語としてではなく、擬人化を含んだ歌合の要素の強い作品であると思います。
『魚の歌合』について
この『魚(うを)の歌合』には、『虫の歌合』と『鳥の歌合』にあった歌合に入る前の物語は存在しません。「たいぐみ」の表から始まり、最後の歌合の判詞の後に詞はありません。「たいぐみ」表の一番と二番を照会します。
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一番 長哥
左 おめでたいゑもん 右 君を恋のすけ
二番 はいかい哥
左 ふきぬきさんあんごうぢ 右 ふぐつらさんふくとうぢ
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特徴的なのは、和歌だけではなく順に一番から、長哥、はいかい哥、たんか、はいかいうた、こんぼんか、はいかいうた、せんどうか、はいかい哥、おり句の哥、はいかい哥、上下おり句の哥、はいかいうた、くはいぶんの歌、はいかい哥、くはいぶんのれん歌おもて八句、と十五番歌合まで書かれています。
これは、『鳥の歌合』の序文を受けたもので、序文どおりにはいかいうたが多くなっています。(序文引用は割愛する)
しかし『鳥の歌合』と、『魚の歌合』の共通点は、あくまで歌合としてであって、物語としては見えません。
『鳥の歌合』は完結せずに、『魚の歌合』に続いているとは思えますが、『虫の歌合』から続いているとは思えません。
『獣の歌合』について
『獣の歌合』もまた、「たいぐみ」の表から始まります。
一番 水にたはふるゝこひ
左 かわうその水ゑもん 右 ぶたのほうしどろぼう
二番 おもかけにたつ恋
左 いぬ山の四郎太 右 さるまろのあかたゆふ
恋の歌合という形を取っています。『鳥の歌合』と『魚の歌合』にはなかったことですが、最後の歌合の判詞の後に詞が付けられています。『鳥の歌合』の対とも考えられるので、内容比較のため、ざっくり訳します。
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(略)一首を読む人は、仏を一尊作ることと変わらない。この三十一文字に、一尊を添えて三十二相の即身仏となって和歌は成り立つものである。そうすれば、魚、鳥、虫、獣までも天の理に叶い、道を納めれば、(詠まなかった)判者もともに、仏道にいたるものではないか。
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個人的には、いつのまに、和歌の道とか仏道とかが入ったのか分かりません。ざっくり訳しぎたのだろうか。(結論は作者が違うことだから別に入ったら入ったでいいけども)
『虫の歌合』から続く一連の歌合という表現に取れなくもないが、物語としては、『鳥の歌合』から始まった物語が『獣の歌合』で完結したと取れます。
あくまで異類物歌合として『鳥の歌合』、『魚の歌合』、『獣の歌合』という三つの歌合があり、それを一つの物語として取れるかと思います。
この『鳥の歌合』、『魚の歌合』、『獣の歌合』の作者と、『虫の歌合』の作者が同一人物であるとは思えません。仮に作者が同じであったとしたら、何故『虫の歌合』だけの構成を分けたのかも理由がわかりません。同一人物であれば、4つをもっと綺麗にひとまとまりの構成にできたと思います。
以上の事から『鳥の歌合』に始まる歌合と、『虫の歌合』の関係は、『虫の歌合』からみた、『玉虫の草子』であり、『こほろぎ物語』であると思います。
『鳥の歌合』の序文が『虫の歌合』の影響を受けたパロディであると取り、『鳥の歌合』以下の一連の歌合を『虫の歌合』のパロディであると取りたいと思います。
江戸時代初期における、パロディが一つ認められるかと思います。
こういった流行が存在したということを念頭に、広げていきます。
パロディ発生はいつか、またパロディの種類はどう変化するかです。
論証を省いて言うと、パロディ発生は、和歌における本歌取りだと思います。
少し時代を遡って平安には、周辺の物語を全て源氏物語が吸収します。最大のパロディ作ともいえるかと思います。この部分は、論文が別に出ていますので、こちらでは通過するのみかもしれませんが、視点としては最大の恋愛物である点に注目したいです。この視点からは既存の論文は絡めていなかったと思います。たとえ絡めていても、腐ったまなざしではないでしょう。
そして鎌倉を少し飛ばして室町末から江戸時代初期が、この異類物擬人化パロディです。
同時に同じ初期に、長嘯子の家集から始まったおもしろい論争があります。パロディではないですが、当時刊行される本に、文人と名乗る人がどれほど注目し、意見を交わしたのか、よくわかるかと思います。(本当の修論でした)
江戸時代中期には、近松の心中物が上げられるかと思います。
このときになると、パロディは実際の事件から発生します。心中物は、実際の無理心中を元に作られました。
と繋がると、近現代はちょいと飛ばすとして、古典ではパロディ文化として繋がります。
これは、修論には関係なかったので、入れられませんでしたが、ひとまずは担当教授にも認められた内容でした。(修士の対象を決める時に、先に片鱗だけでも思いついていたら、修士をこれにしたかもしれません(笑))
本当はそのまま、近現代を飛ばして、現在に結びつけたかったですね。
これでイベントを擁護するわけでも、活動を援助するわけでもありませんが、今のジャンルパロディって、本当に日本人の文化というか伝統芸だったんだなぁと思いました。何というか、性のような。
その上で、日本人にとっての、著作権は欧米の著作権とは違うものだとも思いました。
人の口に多く登るのが良い歌であり、物語である。人に詠まれて伝えられ、更に諷刺され、手を加えられて初めてその作者が文人として認められ、元の形の作品も偉大な作品であると認められる、そんな感じです。(うまく言えない)
他者からの加工や引用を許さない欧米の著作権とは根本的に違うものだと感じました。
著作の部分はまだ曖昧です。パロディで止めるべきでしょうね。
こんな感じで戯言を少しずつ書き足していきたいと思います。
パロディ以外の話しも、思いつけば書き加えていこうと思います。
戯言ではありますが、何かのネタに、肥やしに、つまみ食いしてくだされば幸いです。