あれやこれやしているうちに、ようやく秋もくれて、神無月の初めになりました。
木枯らしの吹く音も寒く聞こえる夕暮れ、灰にいけてある炭火のあたりに、起きているとも寝ているともいえず横になっている宵の口の、枕の上に、寒々とした細い月あかりが差し入ってきて、あばらやで「虫の音を聞くことを取り柄にして」という古事を、何となく思い出している時に、霜の降りる庭のあさぢふに、数多の虫が月あかりに見えました。
寝れないままに、聞き耳をたてて、夜通し、虫たちの様子をみていますと、とても風情があって、又おもしろいこともあって、と思っているうちに夜が明けてしまいました。物語のたねにと思いたってここに書き付けようと思います。
庭の片隅になる萩の一茂りが枯れ残っています。
その蔭からこうろぎという虫が駆けだしてきて、数多の虫に語りかけます。
そう珍しいことではないかもしれませんが、われらの身の上こそが、殊更に不憫で、情なく成り果てております。皆さんもそのようにお思いになるでしょう。
さあさあ、(今こそ)申しましょう。
春も過ぎ、夏も盛りになれば、草も緑を増して、五月六月の夕立が過ぎる頃には、野辺の草々が露玉をつくります。夕暮れには(漸く自分たちの季節が来たと)心がそぞろに浮き立ちます。また文月の末、八月の十五日には、名に負う仲秋の月明かりもすばらしく、(しかし)早くも風が身にしみいる頃になります。皆さんも(明月までは楽しく鳴いていたけれど)楽しいことも少なくなってくるのではないでしょうか。
その上、今神無月ともなれば、霜の降りる月夜には、なかなか鳴くこともできず、手足も思うようには動かず、頼みにしていた萩原も千種や茅原も荒れ果ててしまって、隠れ家にさえも夜な夜な霜が降りてきて、垣根も小さくなってしまって、鳥に見つかる事も逃れづらくなってしまいました。
かくなるうえは(あるいは)人家近くの塀の根元や、杉の縁側の下などに、身を隠しても、そこは鼠の通り道になっていて落ち着かず、まもなく雪も降り積もるでしょう。
何を考えるにしても、心細く情けなく思われて、今宵の月に同士が集う事ほど嬉しいことはありません。
いざ、各々の心の底を語り明かして、何事も思うことを打ち明け、またその昔の、玉虫の君にうたを贈った時の相手のつれない心の怨みを思い出して、一首ずつ歌を詠んでいこうではありませんか。
各々如何だろうか、とこうろぎが言いました。
それを聞いた数多の虫たちは、頭をあげて、言いました。
「これこそ何よりも望むところである。さて、そなた(こうろぎは)は色も黒く、姿形もみすぼらしい、いつ見てもせわしげで、落ち着かなく駆け回っているので、きっと、内面もそんなふうな人かと思っていた。この呼びかけこそ、奥ゆかしく、すばらしいものである。今や夜も更けてきた。其の昔をしのんで、我々の思う数多のことを、歌に尽くそうではないか」と言っ(言い合っ)て、散りかかる落ち葉の上に、座を設けて、数多の虫たちは、(歌を)考えながら座りました。
その虫たちの中から、蟇が進み出て言うには、「各々が一首ずつ読まれると、およそ歌数が三十首に及んでしまいます。なかなか良い思いつきですが、左右にわけて、哥合にし、この中で歌に心得のある者を、判者にして、勝負を定めては如何でしょうか?」と蟇が言いました。
同じ意見も出て、「これもまたおもしろいだろう」と言いました。判者は選ぶまでもなく、提案した蟇に理由があるのだろうと思われました。その上に、古今集の序にも、水にすむかわづもうたを詠んだ、と、貫之が書いていることも懐かしいので、「あれこれおっしゃらず、判者はひきがえるさんにお願いしましょう」と言いました。
言う事もなく、蟇さんは黙ったまま、上座に正座して申すには「おそれおおいことですが、あれこれ言っていると、夜は更けゆくばかりですので」とおっしゃって、詠み出される歌を聞き入っている様子は、傲慢で身の程知らずに見えました。「すぐ隣にはくちなわ殿が居られるのに」「役に立たない出過ぎた振る舞いだ」と呟く者もおりました。
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※歌合わせ本文には、虫の名やそのものを表す言葉が入っています。
訳には反映されない使い方もありますので、合わせてお楽しみ下さい。
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【本文】
十五番うた合
はんじや やぶのもとのひきがいる
ひだり こうろぎ
1 中(なかなか)にあれてもよしやくさのいほいつこうろぎときみはたのめず
みぎ はち
2 こゝろにははりもちなからあふときはくちにみつあるきみそわびしき
【通釈】
判者 やぶのもとのひきがえる
ひだり こうろぎ
1 草の庵が荒れ果てているのもかえって良いかもしれませんん。君はいつくるのかあてにならないものだから。
みぎ はち
2 心の中では鋭い針を隠し持つのに、お逢いしている時は、いつも甘い蜜のような詞を口にする、そんな君がわびしい限りです。
判者としてやぶの本のひきがえるが申し上げます。左の歌は、「いつこうろぎと君はたのめす」と、自分の名を歌に読み込んで、恨みを述べています。作意があってよく理解できます。右の歌は、口に蜜あるという言葉は、少し卑しく理解できるので、左の歌を勝ちといたします。
【判定】左
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【本文】
左 げぢげぢ
3 つれなさをおもひあまりて身にぞしるたれかとをりしきみとわが中
右 あり
4 なさけなき君か心はみつの山くまのまいりをしていのらまし
【語釈】
たれかとをりし=誰かと居る、誰かが通る。
【通釈】
左 げぢく
3 あの人の薄情さを身に染みて知りました。誰かと居たあなたとの仲はどうなるのでしょう。げじげじが通っていったから、こんなに君との仲が離れてしまったのだ。
右 あり
4 恋情のない君の心がはっきりと見えてしまいました。今はただ熊野詣りをして神に祈るばかりです。
判者がいいました。右の歌、なさけなさを神にかけて祈るという言葉に、仕方のない風情がありますけれど、左の歌は、だれか通らしという言葉で、身にしみる思いが伝わってくるように思われますので、左の歌の方が心惹かれましょう。
【判定】左
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【本文】
左 はたおり
5 まちくらす日は中なかにしの(ら)いとのむすぼふるとも君やよりくる
右
6 うらみわひなみだのあめにぬれにけりわか身のむしはきて・(も)かひも(・)なし
【語釈】
しの(ら)いと=縒る、結ぶにかかる枕詞。
むすぼふる・よりくる=縁語。
きて=来て。着てを掛ける。
【通釈】
左 はたおり
5 今に来るか来るかと思って一日中待っています。私の心がふさがっていたとしても、私の側に寄って来てくれるでしょうか。
右 みのむし
6 恨み悲しみの泪が雨になるほど降り注いでいます。私の簑は着ても効果がありません。
私はやって来ても仕方がありません。
判者がいいました。左の歌は、姿も言葉も優美で、優しさがありまもまっていますが、作者の心はそれではかなえられないであろうと思われます。右の歌の、なみだの雨という言葉こそ、情も深く判者の袖さえも濡らす表現であります。
【判定】右
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【本文】
左 かまきり
7 ちきりをきしゆふべもすきぬわれならて君かくるまをたれかとゞめし
右 あしまとひ
8 たのめでもきみきまさねはゆくかひのあしまとひてやひきとゝめなん
【語釈】
かまきり=「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」(太平記?)かまきりが両足をあげて大きな車の轍にむかって進行を塞ごうとすること。
あしまとひ=針金虫のこと。かまきりの腹に居ることから、父子というが、本当は寄生虫である。
君かくるま=来る間。車。
たのめでも=四段活用と下二段活用が同じ。
とゝめなん=上が未然形の願望と、連用形の推量が同じ。
【通釈】
左 かまきり
7 お約束していた夕べも来ないままに過ぎてしまった。君の来る時間を(車)を誰がとどめてしまったのでしょうか。
右 あしまとひ
8 頼み込んでも(頼りにさせておいて)あなたは来ない。来ない人の元へ行くのは無駄だから引き留めてしまおう(たい)。
判者がいいました。左の歌は作者の名を隠しているけれど、「君がくるまをわれならでたれかとゝめじ」と言っている。本文を思い出すとはっきりわかります。右の「あしまとひてやひきとゝめなん」というのも遣りすぎたことであり、これも面白いものである。その上、父子の間柄でもあるので、ここは持にしたいと思う。
【判定】持(引き分け)
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【本文】
左 いもむし
9 うらめしな君もわれにやならひけんふりふりとしてつれなかりけり
右 てふ
10 おもかけははなにねふれる夜もすからきみにあふせのゆめにさへなき
【通釈】
左 いもむし
9 恨めしく思われることだ。君も私を見習ったのでしょうか。ひらひらと舞逃げてつれない限りだ。(訳文不完全にて考察中…)
右 てふ
10 君の面影を追って、一晩中花に寄りかかって眠りました。なのに夢の中でも君には出会えなかった。
判者がいいました。「左の歌は、作者の容姿によく釣り合っている。しかし、ふりふりという下の句は、耳障りで、聞こえが悪い。右の歌は、「おもかけははなに」といい、「きみによそへてねふれる」というが、これは作者の狙いがわからない。花により掛かって眠るという本文こそがふさわしい。よって右の面影に心惹かれるものがある。(判者の言葉も訳文不完全。「本文」とはなにか…?胡蝶の夢(荘子)かそれとも、本性的な意味合いか?)
【判定】右
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【本文】
左 けむし
11 いかにせん身のむくひにやかくばかりさしつくやうにこひしかるらん
右 くつわむし
12 かずならでものを・(そ)おもふも(・)くつわむしさひてはならぬこひとこそしれ
【語釈】
さしつく=刺し付く。差し着く(こぎ着ける)。
【通釈】
左 けむし
11 もうあきらめるほかどうしようもない。(悩んでいる)私自身のせいだろうか。こんなふうにさしつくように恋しいなぁ。
右 くつわむし
12 数にならない思いを懐く轡虫です。引き裂いて(錆びて)はならない恋と知れるでしょう。
判者がいいました。「右の歌は、下の句の続きといい、しゃれた言い方であり、そこに作者の工夫があり面白くできています。左の歌は、「さしつくやうに」といい、これは針をもっている他の方々のいづれのかたにも言えることです。そういうことで、取り分けてこの作者に限ることではありません。世の常として、名を隠して詠む時には、そこのところを曖昧にしないようにしたいものです。このような問題点はあるけれども、あまりの薄情さにその身の報いとまで自分をせめているのは、また捨てがたいものである。
【判定】右寄りだけど、判定なし。
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【本文】
左 きりきりす
13 わがこひはあふせの道・(みち)やきりきりすかへにも君(きみ)がおもかげをみず
右 みゝず
14 此ころはつちの中なるすまゐして君がすがたもみゝずなくなる
【語釈】
きりきりす=きりぎりすと、胸を痛める様、落ち着かない様を掛けたものか。
かへ=壁。壁を「塗る」と、夢を「寝る」の同音から、夢の異称としても用いられる。
みゝず=みみずなく。秋の季語である。秋の夜、土中で「じいい」と鳴く声をみみずの鳴き声としていた。実際は「けら」の声である。
みゝずなくなる=みみずなく、見ないで泣く。
【通釈】
左 きりぎりす
13 私の恋は逢瀬の道で落ち着かない胸を痛めています。こんなにあなたを思っているのに、実際に会えないばかりか、夢の中で面影にすら会えません。
右 みみず
14 最近は土の中で暮らしています。君の姿も見えなくなってしまいました。だから泣いています。
判者がいいました。右の歌は言葉遣いは粗野ですが、作者に相応の気がいたします。左の歌は壁(夢)にも面影を見るという古い性質の言葉もあり、品格も良く思われます。勝ち負けの批評は申しません。この心をもって持としたいと思います。
【判定】持。
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【本文】
左 すゞむし
15 なとてかくたへぬおもひをすゞむしのふりすてかたきこひぢなるらん
右 まつむし
16 あはれしれ月にや君・(はたれも)がとふやとてくさの戸さしをあけてまつむし
【語釈】
おもひをすゞむしのふり=「おもひをす」「すゞ」枕詞。「すゞ」「ふり」縁語。
【通釈】
左 すゞむし
15 どうして絶えない想いをするのでしょう。捨てられない恋路です。
右 まつむし
16 情緒深い月を愛でに君がきてくれるかもしれません。家の鍵をあけて待っていましょう。
判者がいいました。右左ともに、名高い方たちの歌ですので、持にしたいと思います。
【判定】持。
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【本文】
左 むかで
17 おもひやれひとりぬるよはわれからのあしのかずかずきみぞこひしき
右 きこりむし
18 としもへぬおもひたきますきみしあれはあふさかやまになけきこりむし
【語釈】
あし=足と悪し。
逢坂山=逢うと逢坂山。
【通釈】
左 むかで
17 おもいやってください。独り寝の夜は、私の足の数ほどに(あれこれと何がいけなかったのかと、後悔の数ほどに)あなたを恋しく思っています。
右 きこりむし
18 年を経ても君への想いは増すばかりです。ただ逢坂山で鳴きなさい(もしかしたら逢坂山で鳴いていれば、逢えるかもしれない)。
判者がいいました。左の哥は面白いけれども、「あしのかずかず」という言葉が逆に、想いに比べて不足しているように思われます。右の哥は高倉院の哥を元にしておられ、最も右のほうが、想いが良く伝わると思います。
【判定】右
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【本文】
左 ひくらし
19 よもすがらおもひあかしてくさの戸にねをのみなきてまたはひくらし
右 こがねむし
20 つれなさの君にしあればこゝろみにわがなをそへてをくるたまつさ
【語釈】
よもすがら=夜中。「ひくらし」の昼間中との対比。
【通釈】
左 ひくらし
19 夜通し草の庵で想い明かしてしまいました。鳴くばかりの日々を過ごしています。
右 こがねむし
20 つれない君の元へ試しに私の名(こがね)を添えて、手紙を贈ってみようか。
判者がいいました。右の歌は作者の思いが分かりづらいけれども、世の笑いぐさを取り入れたのは面白い。左の歌は、言葉の連なり方も美しく優雅に思われるので左を勝ちとしたいと思う。
【判定】左
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【本文】
左 はい
21 かつらきのかみにはかはるちきりかなよるのあふせの身にはかなはす
右 か
22 しのびぢのこゑたてねともゆふぐれはつれるかて・ふ(ちやう)や夜半のせきもり
【語釈】
かつらきのかみ=奈良県葛城山に住むという一言主の神の別名。役行者の命令で葛城山と芳野の金峰山との間に岩橋を架けようとしたが、容貌が醜いことを羞じて、夜間しか工事をしなかったため、完成しなかったという。このことから、恋や物事の成就しない例にひかれる。
21番歌について。夜にデートできないことをいう為に葛城の神を引き合いにした。でも夜、はえは、まったく動かないから約束をしても逢えない。葛城の神は夜しごとをするけれど、逢えるには逢える。
こゑたてねともゆふぐれ=声をださないで言う。
つれるかてふ=釣る蚊張。かや。
いせものかたりの歌=人目を忍んで女に逢いに行く男は、門から入らず土塀の崩れを通って通っていた。屋敷の主がその事に気づき、毎夜番人を置くようになった。男は女に会う事が出来ず、次の歌を詠んだ。「人知れぬわが通ひ路の関守はよひよひごとにうちも寝ななん」私がこっそりと通う工事を守る関守は、毎夜毎夜、ちょっとでもいいから寝てほしいものだ。音難はたいそう心を痛め、主人もついに通いを許したという。『伊勢物語』第五段関守。
すみよし=住吉大社。和歌の神として信仰がある。
たまつしま=玉津島。和歌山県和歌の浦にある神社。祭神は稚日女命、神功皇后、衣通姫。衣通姫は和歌の神。
【通釈】
左 はい
21 己を羞じて夜しか逢わないという葛城の神とは違うなぁ。約束をしても、その夜に逢うことは叶わない。
右 か
22 声を立てずに忍んでゆく夕暮れ。釣られた蚊張が寝ずの関守をしている。少しでいいから、眠ってくれないものだろうか。
判者がいいました。左の歌は、夜に逢う事が叶わない事を言おうとして葛城の神を取り上げた事、情緒あるように思う。けれども他にも夜に叶わなかった思いを抱いた方々もあるので、これもまた、さしつくようにというけむし殿がおっしゃった事の欠点と同じである。又、右の歌は、蚊張を夜半の関守とおっしゃったのは、伊勢物語の歌に「よひくことにうちもねなゝん(毎夜毎夜少しでいいから眠って欲しいものだ)」の思いが思い出されて、趣深いものである。この作者(か)は竹林をたいていの住まいとしていて、たびたび判者が眠っているうちに、後ろから思いもかけない時に、したたかに刺される事、たびたび重なったので、少しは恨みを覚えている。このような歌合の判者となり、私事の恨みを晴らそうとすることは、住吉、玉津島の神の御心にも背くことになると思われるので、公平に判じようと思う。右は昼を嫌い、左は夜に叶わなかったというから、これらの御歌は持に判じようと思う。
【判定】持
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【本文】
左 のみ
23 こゝろにはとびたつばかりなけゝどもわがくふほどもきみはかひなき
右 しらみ
24 せくこゝろきみにつけてもとにかくにいひしらみなる身のあはれしれ
【語釈】
いひしらみ=言白。言いしらめる。口先でごまかす。
【通釈】
左 のみ
23 心では今にも飛び立とうとするほどに切に願い鳴いているけれども、私が食べるほどもあなたには効き目がない。
右 しらみ
24 焦る心を君に届けてみたけれど、あれこれと言い知らす(言い訳のように口先でごまかす)身の哀れ深いことをわかってほしい。
判者がいいました。左のうたは、飛び立つばかりに嘆くというのは、しらみ殿のつくりならこそ真新しく思います。(のみさんはいつも飛んでるじゃないかの意)のみ殿の作意はどうであろうか。その他の時でも、獲物があれば飛ぶこともあるだろう。又しらみ殿の作意には、とにかく言い白むという、ここが面白い。世の常日頃の作者の名は、聞いていても粗野であるが、言葉の下に言い隠された趣向は、特別に優れている。こちらを勝ちにしたいと思う。
【判定】右
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左 けら
25 つらなさの君にぞはらはたちにけりにくしつぐみのよろこひやせん
右 ほたる
26 しのびぢのやみにかしらはかくせどもあとのひかりそ人やとがめん
【語釈】
けら=つぐみが天敵。『本朝食鑑』。
あとのひかり=蛍の光と、後朝、後日。
【通釈】
左 けら
25 つれない君にはいっそ腹が立つほどです。けれど鳴くとあの憎いつぐみを喜ばせてしまいます。
右 ほたる
26 忍んで行く闇の中に頭は隠せても、残光を見る人が後日、自分だと咎めはしないでしょうか。
判者がいいました。左の歌は、自分で自分の名を隠して歌われたけれども、世の口癖(言い回し)を本文にして詠まれたので隠しようなくわかってしまう。下の句の続き方は面白いものがある。右の歌の作意は、ひかる所をあと(残光、後の日)と言われる想いは情緒深く面白い。これも名は隠されているが、自らの光よりも明らかに名を表している。右を勝ちとする。
【判定】右
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左 くも
27 君くべきよひをば人に・(は)つぐれどもわがあふせにはうらなひもなし
右 せみ
28 なさけなくかたきこゝろは石かわやせみのをかわに身をやなけなん
【語釈】
くも=『日本書紀』巻十三「わが背子が来べきよひなりささがにの蜘蛛のおこなひ今宵しるしも 衣通姫」とある。
うらなひ『滑稽雑談』(正徳三年)に「四月、蛛子 三才図絵に云、蜘蛛来りて人衣に著けば、まさに親客至るあらんとす」とある。
石かわやせみのをかわ=石川丈山。江戸時代の漢詩人。天正十一年(一五八三)―寛文十二年(一六七二)。後水尾上皇の召をうけたが、固辞し、「渡らじな蝉の小川の浅くとも老の波たつ影は恥ずかし」の一詠を献じた。
衣通姫=美しい肌の色が衣を通して輝いた。姉の皇后忍坂大中姫の妬みをうけ、河内国芳淳に身をかくした。
【通釈】
左 くも
27 君が来る夜を人に告げたけれども、私があの人に会えるかどうかは、見通しがない。
右 せみ
28 愛情のない固い心は石のよう、いっそ小川に身を投げてしまおうか。
判者がいいました。左の歌は衣通姫の故事を思いおこし、右の歌は、丈山の歌が鴨川の細流であることから、鴨の長明を引き出されたものである。どちらをどちらとも判じがたく、持にしようと思う。
【判定】持
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【本文】
左 くちなわ
29 おもへどもへだつる人やかきならん身はくちなわのいふかひもなし
右 ひきがいる
30 つれなさの人もうらめしかずならぬ身をひきがいるねにやなかまし
はんじやのひきがいる申ていはく、くちなわとのゝ御哥をふるへくさたし仕るに、かみの句に、へだつる人をかきとあそはし、下ノ句に、御なによそへていふかひもなし、と、ことばのゑんを入、・・・(御作意)まことに、あはれもせつにして、しかも御さくいのかんせいふかくして、中くごんごにおよはぬ御哥かな、と・(も)おほへ侍る、おそらくは、かきのもとのいにしへにも、はぢたまふべからす、ならのみかどのまんやうしうをはしめて、代々のすべらぎあつめさせたまふしうくの中にも、かほとの御さくい・・・・・・・・・・(作意あるへからすまことに)きもにめいじ、身のけもよたちて、おそろしき御うた也、・・・・・・・・・(愚意におほえ侍らす)されは、これにぐゑいをならべ侍らんは、わうごんにいさごをましへたらんこゝちし侍れば、かたくおそれふかしといへとも、めにみへぬおにかみにもあはれとおもはせ、たけきものゝふのこゝろをもなくさむるは此道なり、といひ・・・(つたへ)、たつとからずして、こうゐにましはるも、此道なれば、御ゆるしもふかくや侍らん、われらがうたに、身をひきがいるねにやなかまし、とつゝけ侍るも、ことばふつゝかなれど・(も)ぐゑいには、又すこしはよろしくもきこへ侍らんか、今かゝる哥合のはんじやになり申たるおもひでのとくぶんに、よなる御かたくにも侍らは、・・・(まけて)かちに申うけ侍らんなれど、なにとやらんいはんとすれは、むねふたがり、そらおそろしく、しそんのためにもいかゝとおもひ・・・・(わつらひ)侍れは、とかくをさしをき、此うへは、かみざをへり下り、もつたいなしや、しかるへからすや、なといひて、あせ水になりて、竹のはやしのおちばがしたにはい入ぬ、よなるむしたちも、よきしあんにこそ侍れ、いのちが有てこそ、水にすむかはすの歌も、よむへけれ、と、どつとかへして、さたしたり
【語釈】
くちなわ=蛇。朽ちた縄。
かきならん・・・いふかひもなし=垣根を結うから、「かき」「いふ」は縁語。
身のけもよたちて=感動した時と、怖い時とを掛けた言葉。
どっと=早々に。
かへして=官を辞す。判者の任を退く。
【通釈】
左 くちなわ
29 私とあなたの仲を邪魔をする人は垣根みたいなものであろう。朽ちた縄のような身には言うことができない。
右 ひきがえる
30 つれない人が恨めしい。私なんか数に入らないこの身を、かなしみの中で声に出して泣くばかりである。
判者のひきがえるがいいました。くちなわ殿の御歌を震えながら判じて申し上げるには、上の句に邪魔をする人を垣根となさって、下の句にお名前のくちなわを添えて、「いふかいもなし」と隔てる人に恨みがあるはずなのに、自分の方をへりくだった気持ちで、言葉の縁語を取り入れ、まことに哀れ情緒も深く、しかも作意の感情も深く、なかなかに言い表せない御歌と思われます。
おそらく有名な古人、歌聖の柿本人麻呂にも恥じなさる必要はないでしょう。奈良時代の万葉集をはじめ、代々の天皇が集めた勅撰和歌集の中にも、これほど立派なものはないほどで、心から深くそう思い、身の毛もよだつほどのすばらしい御歌であります。
そういうわけで、このような御歌に、拙い自分の歌を並べるのは、黄金に砂子をまぜるような気分になって、一方ではとてもおそれおおく、それでも並べたのは以下の理由からである。
歌とは目に見えない鬼神をも感動させることができ、猛き情を知らない武士の心をもなぐさめてしまうものであるといい、尊くもない身の者が高い位のものと交わることができるのもまたこの和歌の世界であるがゆえに、くちなわ殿の歌を並べても、慈悲深く許してくれることでしょう。
私ごときの歌には「ひきがいるねにやなかまし」と続けるが、言葉は不出来でも私の歌にはまた、全体からみれば少しは良くに思われるでしょう。
今、このような歌合の判者になった思い出に世の人が判者になれば、勝ちに申すでしょうが、何か言おうとすれば胸がふさがり、とてもとても空恐ろしく、子孫の為にもどうかと思ひ、それはさておきと言葉を控えて、この上は上座を下り、「(くちなわ殿と歌を並べる事は)もったいないことです」「そんなことがあっていい筈はない」などと言いながら、脂汗をかきながら、竹林の落ち葉の下に隠れてしまいました。
世の虫たちにはもっと良い判じ方があるのかもしれないけれども、命があってこそ水に住む蛙の歌も詠めるものだといい、早々に判者の座を退いて、そう判じてしまいました。
【判定】逃げた。逃げる前は左か。